niftyserveとOASYS
1985年はパソコン通信の前夜であった。
アスキームック「パソコン通信」はパソコン通信にパソコン通信という名前を与えた。
85年4月1日発行で、この雑誌の中にアスキーネットの申込み書がついており、これを送ると無料のアスキーネットに入れて貰えた。
続編の
パソコン通信実践編 85年12月1日発行で各地にできたBBSを紹介している。
1986年はパソコン通信の元年であった。
niftyserveを運営している、エヌアイエフは2月に設立された。10月にはセンターを作り、サービスを開始するとある。
試験運用は10月ころより始まり、商用の運用は87年4月15日スタートだった。
1986年2月14日NIFの設立を伝える日経新聞である。
30AFとFROM9はモデム内蔵モデルを業界でも最初に作った記念すべき機械です。
パソコン通信が普及するとの見通しのもとに、ワープロで普及させようと専用機を
ねらったものでした。
当時は、パソコン通信の商用化前夜でした。
telestarや アスキーネットやPC-VANがまだ、無料でサービスをやっていた時代です。
86年11月に
30AFを発表しました
カタログには、
文書コミュニケーションをひろげる通信機能。
通信用ATモデム内蔵タイプも用意。
標準タイプモデムを接続することによって、同様に通信機能を活用出来ます。
モデム内蔵タイプ62年1月発売予定とあります。
nifty-serveはまだサービスを開始していない時代です。
モデムは300pbs/1200bpsとなっています。
1986年10月ころには、niftyserveのテスト運用がはじまり、30AFで通信ができるようになりました。
ユーザには、OAS01001からはじまるID番号を発給して、仮運用のテストができるようになった。
niftyserveは正式には翌年の1987年4月15日から正式運用がはじまったが、この時にだしたIDは
変更せずにそのまま今でも使われている。したがって、OASが頭についているIDは一番前から
使われているIDであるということができる。私も大切にOASのIDをもっています。
30AFについていたイントロパック
です。niftyでは、OASYS通信サービスという名称に、本格スタート以前にサービスを開始しました。料金は30円/分になっています。メールと掲示板のサービスが中心でした。
掲示板も活発ではなく、主としてメールが使われました。
86年10月21日のniftyのログ
です。会員情報の表示をして、神奈川県では5名のメンバが表示されています。
PNF00104 はライムライト関係のユーザのIDです。
NIFではIFC社プランドのパソコン(ライムライト)の訪問販売のサービスの一つであった、パソ通サービスをniftyserveと一緒に始めました。
SYS00004 SYS00058はniftyのシステム関係者のIDです。
NIF00105は私が貰ったテスト用のIDです。106は当時一緒に仕事をしていた白鳥君のものです。
下の方のログはアスキーネットのもので、着信メールのリストとメールがあります。
私のIDは asc22110でした。ここに時刻がのこっています。
この当時は毎日いろいろとテストをしたのですが、保存するような情報がなかったのと、画面でみるだけで、印刷しなかったので
残っていません。
ワープロ通信に進出
1986年11月21日の日本工業新聞です。高原記者の署名入りの解説があります。
パソコン通信をオアシスで
1987年5月21日の日経産業新聞の記事です。4月15日より、niftyの運用が開始しました。
国内各社の有料商用サービスも始まった時です。
パソコン通信はパソコンでやるよりも文書作成に使われているワープロでやるほうがよいという主張で
FROM9と30AFのモデム内蔵機をつくりました。また、通信ソフトを提供して、100シリーズのビジネス機でも
使えるようにしました。
FROM9モデム内蔵機を発表しました。
1987年5月29日の日本工業新聞の記事です。
私は普段、機能の高いビジネス機にモデムを接続し、
100Gシリーズで、60行もの大きな画面と高速のドットプリンタを使用していました。
しかし、携帯して使うには、FROM9のモデム内蔵モデルが必要だったのです。
内蔵されている通信ソフトにより、オートダイヤルをして、自動的にログインすることができるようになって
いました。
またオアシス文書をアップロードしたり、ダウンロードしたりすることができるようになっており、作成した文書を
電子メールとして送ったり、電子メールをオアシス文書として受信することができました。
オアシス用パソコン通信用ソフト
1987年オアシスでパソコン通信をするときに使うパソ通用のソフトとして
パーソナルサービスATというソフトができました。
以後、オアシスの通信ソフトはこの系統でやってゆきます。
あとで、MD/DOS用のAutoComができます。
パソATその2
モデムは1200と300のものが、記載されています。
正式運用開始当時の1987年春のnifty-serveのパンフレット
表紙
パソコン・ワープロ通信サービス NIFTY-Serve (CompuServe)と表紙にあります。
CompuServeには同時に入会することができるようになっていました。
入会方法・料金
料金は当面は10円/分だが、1988年春以降は、1200/300bpsで20円/分にすると書いてあります。しかし、結局は1988年以降も10円/分の料金が継続されました。
niftyと競争していた PCVAN が3分20円でやっていたので、1分10円でもそれより高い料金でした。
サービスメニューその1
全体のメニュー コミュニケーション 電子メール、掲示板、電子会議、CBシュミレーター
サービスメニューその2
フオーラム、データベース、全国アクセスポイントは30箇所だが、1987年10月には60箇所1988年3月には90箇所の予定となっています。
神田泰典さんの多忙なる通信生活
1987年7月5日発行の別冊科学朝日 ASAHIパソコン おもいっきりシリーズのなかの
「おもいっきりワープロ」の表紙です。ここには当時のワープロが紹介されていますが、
特集としてワープロ通信のことがでています。
神田泰典と秋山さん
私とniftyのFOASYSというオアシスのフオーラムのマドンナ「マーガレット」こと秋山千春嬢です。
これは、秋山さんの使っていた機械です。
多忙なる通信生活1
多忙なる通信生活2
左の写真は当時の南多摩工場の私の机です。OASYS100GXと30AFを通信に使っています。
一番手前が100GXの本体です。
右の喫茶店での写真は、本社丸の内センタービル地下の喫茶店で写したものです。
通信をやっているわけではなく、感じをだすために、喫茶店で写真をとりました。
多忙なる通信生活3
この写真の鞄が、当時使っていた革製のカバンです。段々と痛んできてついにはアウトになりました。
下がFROM9MDです。モデムケーブルとモジュラージャックの二股が見えます。また、単二の電池4個も常にもっていました。
女の子が作ったパソコン通信ガイドでの紹介
1988年5月1日発行の単行本です。ここに、秋山さんの活躍ぶりが紹介されています。
その1秋山さんの紹介。ワープロで通信するから安心。
その2面と向かって言えなかったことが、伝えられる
その3秋山さんの机の上には富士通の最新マシンが
その4海外からの電子メールのやりとり
その5神田技師長とパソコン通信談義のひと時
その6喫茶店マーガレットで新しい仲間を
その7今後の発展は?
表彰状(1989.4.8)
niftyでは最初からオアシスのユーザサポートのフォーラムを運用しました。
名前はオアシスフォーラムでFOASYS でした。あとで二つに別れて、FOAS1とFOAS2になりました。
現在では、ステーションになりましたので、SOAS1 SOAS2 になっています。
オアシスでパソ通をということではじめましたので、最初のころのniftyのユーザはこの
FOASYSに沢山集まりました。この表彰状は1988年度のアクセス時間に多大の貢献をしたという
表彰状です。
いまでは、パソコンのフォーラム関係が、抜群のアクセス時間を誇っていますが、この当時は
バソコンのアクセス時間よりもオアシスフォーラムの時間の方が多かったのです。
FOASYSのパンフレット(1990.末)です。
nifty-serveの方で、フオーラムの宣伝のために、フオーラムごとに宣伝用のパンフレットを作って貰いました。
写っているのは、OASYS 30ADです。親指シフトキーボードの発明賞のメダルもあります。
FOASYSのパンフレットの裏面です。
ここに この調子でゆけば、nifty-serve は1995年には100万人 2000年には1000万人の会員になりますと言っています。
当時私の秘書をしていた、サブシスの秋山千春嬢の写真とコメントもあります。
このときは、FOASYS2 はMS-DOSとか MIND AUTOCOMなどをやっていました。
MINDは日本語で書くプログラム言語です。
FOASYS1には nifty-serveのマニュアルもあります。当時のniftyではマニュアルが整備されておらず、
仕方がないので、こちらでマニュアルを作ってフオーラムに入れておりました。メールの出し方とか
フオーラムの書き込み方とか等々です。