オアシスの最初からOASYS100まで
日本語タイプライタの発想から試作機デモまで
1977年7月6日の日付のある日本語タイプライタのメモ、ミニコンで作った試作機の開発計画書、最初の文書など
OASYS発表前の学会論文
学会発表の論文(オアシス)
1979年春のビジネスショウ
にミニコンでつくった試作機を参考出品しました。
その時のパンフレットをスキャナでとりこんだものです。
1979年秋のデータショウ
に春と同じものを参考出品しました。
富士通の日本語への取り組みの一端として、JEFの展示の補強として行ったものです。
その時のパンフレットをスキャナでとりこんだものです。
OASYS開発時の社内説明用のOHP資料の実物をスキャナで取り込んだものです。
富士通にとっては全く新しい商品なので、社内各部門に説明をして理解を得られるように努力しました。
まだOASYS100発表の前の時点ですが、基本的なコンセプトは固まっていました。30枚あります。
それぞれが大体 JPEG 20KBの画像です。
オアシスの最初の非公式なカタログ
1979年暮れには商品化がきまったので、
宣伝活動を始めました。モックアップを使って技術部でカタログを作りました。
写真は後で出た商品に良く似ています。
日本語電子タイプライタのニュースリリース(テキスト)
ニュースリリースの実物その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
これは発表の前日、OASYS100を使って、200部だったか300部だったかを、せっせと印刷
したものです。
オアシスの発表の時の写真、新聞記事など
1980年5月7日、日本語電子タイプライタとして発表しました。また、14日から4日間晴海でのビジネスショウに出展しました。
新聞には1979年にリークして記事を書いてもらいました。
販売組織は1980年6月に発足しました。
木元教子さんを使ったコマーシャルも作りました。
他社の状況など
OASYS100発表時の各社の状況、シャープ 東芝 日電 キャノン の状況など
オアシスの最初の製品カタログ
です。
1980年ビジネスショウに出展して配付したカタログです。折り畳み6ページ。
名称は「日本語電子タイプライタ」写真はモックアップを使っています。
表示画面は試験中の機械を使って画面だけを撮影してはめ込んであります。
OASYS100と命名されました
です。
1980年6月には、公募して沢山集まったなかから名前がきまりました。
写真は実物をつかっていますので、本体の右側のボタンの色が違います。プリンタもボタンがなくなっています。
同じモデルさんですが、少し違った写真になっています。
24ページの本格的なカタログ
です。
1981年ビジネスが本格的になったので、厚いカタログができました。
モデルさんは同じ人です。日本語ワードプロセッサという世間の呼び方にあわせました。
オアシスの特徴を詳しくかいてあります。当時から通信機能がありました。
親指シフトの下敷き
です。
親指シフトの練習もできる下敷きです。物差しや、印刷ピッチの目盛りも入っているものです。
数種類の下敷きがありますが、これは一番最初で、100のキーボード配列になっています。
OASYS100の手拭い
です。
1981年の正月の御年賀にオアシスの営業の人が販社さんなどに持参した年賀用の手拭いです。
事務所でのシーンがはいった
1983年のカタログです。
100Jも登場しました。レーザプリンタがつかえるようになりました。
高見山の居る一枚もの
のカタログです。
1983年。 190万円からと価格がはいっています。