昭和54年春のビジネスショウに試作機を展示しました。
1978年夏からオアシスの開発に取りかかりました。
まず、ミニコンで機能試作を行いました。これを、ビジネスショウに参考出品として展示して、
実演を行いました。
パンフレットの表紙
です。この時は、富士通日本語情報システム(JEF)を発表したばかりの時でした。
日本語への富士通の取り組みということで、日本語タイプライタと日本語手書き入力の二つを
展示しました。
日本語タイプライタは当時試作していたオアシスの機能試作、手書き入力は当時研究所でやっていた
オンライン手書き文字認識の研究です。
当時は製品ではないものを出品するのには抵抗があり、随分苦労をしました。
製品ではないので、機械の搬入や調整なども全部自分たちでやりました。
キーボードの写真です。
このキーボードは現存していますが、これはパンフレットからスキャナでとったものです。
変換キーが区切りキーという一つのキーしかないのが特徴です。 このあとで、無変換キーをつけることに
なります。
ディスプレイと変換の方法の説明です。
ディスプレイはミニコン用のものを使っています。32ドット表示の大型のもので、当時は漢字が表示できる
ということだけで、お客さんは感心したものです。
画面には
第54回ビジネスショーのご案内 ・という文書が表示されています。
つきましては、貴社の皆様にもごこうらん 、となっていて、高覧を変換する場面になっています。
プリンタの写真です。
これは16ドットのドットプリンタを使っていました。
プリンタ上には、
第54回ビジネスショー
昭和54年5月9-12日
AM10時-PM4時30分
場所 東京晴海会場 新館1F
と印刷したところが、写真に写っています。
今も保存している親指シフトキーボード
です。
9日から12日まで、4日間 この開発をやっていた我々のメンバで実演をしました。
神田 白鳥君 中山君 池上君 田中君 長田さん 小野さんというメンバです。
一番最初は神田がマイクを握って客寄せをしました。後は皆がそれを倣って、マイクを握って実演を
やりました。
日本語入力ですから、予め準備してあるのを入力するのではなく、何でも入力できるということを見せるよう
努力しました。
観客には、何でも入力するから、といいました。
持っていた文庫本の小説を入力してほしいといった人もいました。大体は会場からもらってきた
カタログなどが多かったと記憶しています。
動詞の活用や、文節の入力はできませんでしたが、親指シフトの高速入力と、一度呼び出してくると次は
その単語が先にでるというオアシスのロジックでやっていましたので、何をもってこられても、困りませんでした。
単語登録のデモもしました。 九官鳥というのがありましたが、八官鳥というのを登録してみせたりもしました。
住所氏名を入れるように言った人も多かったと記憶しています。辞書には名前はどっさりありましたので、全然
困りませんでした。
機械の前に数人群がると、もう他の人は見えないので、来客は多かったのですが、見る人が限られてしまいました。
当時はオフコンの展示がメインでしたが、オフコンの展示を見る人は少なく、このような新しい展示には
黒山の人だかりになりました。
この出展を通して、社内や社外に日本語入力の大切さをかなりアピールすることができました。
ビジネスショウの報告その1
ビジネスショウ出展のあとに書いた報告書。漢字もかなも標準の16ドットフオントです。
その2
他社の状況 東芝 リコー ペンテル 沖電気
その3
他社の状況 アルプス電気